神仏への心の言葉(真言) ホーム
奈良東大寺盧舎那仏 真言とは古代インドのマントラの訳語です。元来ヴェーダの祈祷句や諸神の徳を唱える讃歌を指します。密教では如来等の諸尊の真実にして虚妄ならざる言語であり聖なる真実の言葉の意味。
【写真上】東大寺盧舎那仏(とうだいじるしゃなぶつ)は奈良の大仏として知られる。盧舎那仏は東大寺金堂(大仏殿)の本尊。聖武天皇の発願で天平十七年(745)に制作が開始され天平勝宝四年(752)に開眼供養会・魂入れの儀式が行われたました。「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されています。

月光菩薩 大日如来 日光菩薩
月光菩薩 大日如来
月光菩薩【写真左】・・・
月光菩薩(がっこうぼさつ)は仏教における薬師如来の脇侍としての一尊といわれ日光菩薩と共に薬師三尊を構成している菩薩です。『薬師経』によると月光菩薩は月の光を象徴する菩薩であり日光菩薩と一緒に薬師如来の教説を守る役割を果たしている。造形上の違いは日光菩薩と対になるように対称的に造形されています。
日光菩薩が右腕を上げ左腕を垂らす場合は月光菩薩が左腕を上げて右腕を垂らすといった姿形がとられる。上げた方の手の親指と人差指で輪を作る作例が多い。さらに、宝冠と持物に月を表す標幟を表現することも多いそうです。

大日如来【写真中央】・・
大日如来(だいにちにょらい)は密教において宇宙そのものと一体と考えられる汎神論的な如来(法身仏)の一尊。如来の光明が遍く照らすところから遍照・大日とよばれます。
大毘盧遮那成仏神変加持経(大日経)の教主。大日経の説く胎蔵曼荼羅中台八葉院九尊の主でもあります。また金剛頂経の説く金剛界曼荼羅五智如来の中心であり空海の開いた真言宗において究極的には修行者自身と一体化すべきものとして最も重要な仏陀です。不動明王は密教の根本尊である大日如来の化身。その内証(内心の決意)を表現したものです。
後期密教を大幅に取り入れたチベット仏教でも大日如来は金剛界五仏(五智如来)の中心として尊崇されている。像形は宝冠をはじめ瓔珞などの豪華な装身具を身に着けた菩薩のような姿の坐像として表現されます。古代インドの王族の姿を模したものといわれます。一般的に如来は装身具を一切身に着けない薄衣の姿で表現されますが大日如来は宇宙そのもの存在を装身具の如く身にまとった者とし特に王者の姿で表されます。
■大日如来の五智
1.法界体性智(ほっかいたいしょうち)
宇宙そのものを本体本性としている大日如来の本質。

2.大円鏡智(だいえんきょうち)
あらゆる現象をあますことなくおさめつくしている大日如来のはたらき。

3.平等性智(びょうどうしょうち)
あらゆるものごとは、本質において差別が無いことを悟っている 大日如来のはたらき。

4.妙観察智(みょうかんさつち)
あらゆるものごとを、すみずみまでありのままに観察し尽くし 人々の迷いを断つ説法をする大日如来のはたらき。

5.成所作智(じょうしょさち)
あらゆる人々、一切衆生を救いとるために自由自在に変化して悟りへの導きを成し遂げる大日如来のはたらき。
密教の法具の中の金剛杵の一種で一般的になじみのある造形をした法具の『五鈷杵(ごこしょ)』

この法具、五鈷杵に表される大日如来の五智。中央にある真っすぐの一峯が法界体性智、それを囲む4つのツメは残りの四智をあらわすとされています。また空海が一千二百年前に唐から持ち帰り、生涯大切に使っていた密教法具でもある。

日光菩薩【写真右】・・・
日光菩薩(にっこうぼさつ)は仏教における薬師如来の脇侍としての一尊といわれ月光菩薩と共に薬師三尊を構成している菩薩です。日光遍照菩薩・日光普照菩薩ともよばれ薬師仏の左脇に侍する。『薬師経』によよると日光菩薩は一千もの光明を発することによって広く天下を照らし諸苦の根源たる無明の闇を滅尽するといわれます。造形上はの違いは月光菩薩と対になるように対称的に造形されています。日光菩薩が右腕を上げ左腕を垂らす場合は月光菩薩が左腕を上げて右腕を垂らすといった姿形がとられる。上げた方の手の親指と人差指で輪を作る作例が多い。さらに宝冠と持物に太陽を表す標幟を表現することも多いそうです。

光明真言 オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラマニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン

如  来
釈迦如来 ノウマク・サンマンダ・ボダナン・バク
薬師如来
大  咒 ノウモ・バギャバテイ・バイセイジャ・クロ・ベイルリヤ・ハラバ・アラジャヤ・タタギャタヤ・アラカテイ・サンミャクサンボダヤ タニヤタ・オン・バイセイゼイ・バイセイゼイ・バイセイジャサンボリ・ギャテイ・ソワカ
中咒(台密) オン・ビセイゼイ・ビセイゼイ・ビセイジャサンボリギャテイ・ソワカ
小  咒 オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ

金剛界
大日如来 オン・バサラ・ダトバン
阿弥陀如来 オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン
阿しゅく如来 オン・アキシュビヤ・ウン
不空成就如来 オン・アボキャシッデイ・アク
宝生如来 オン・アラタンナウサンバンバ・タラク

胎  蔵
大日如来 オン・アビラ・ウンケン
宝幢如来 ナウマク・サンマンダボダナン・ラン・ラク・ソワカ
開敷華王如来 ナウマク・サンマンダボダナン・バン・バク・ソワカ
阿弥陀如来 ナウマク・サンマンダボダナン・サン・サク・ソワカ
天鼓雷音如来 ナウマク・サンマンダボダナン・カン・カク・ソワカ

菩  薩
弥勒菩薩 オン・マイタレイヤ・ソワカ
文殊菩薩 オン・アラハシャ・ノウ
勢至菩薩 オン・サンザンザン・サク・ソワカ
般若菩薩 オン・ヂクシリシュロダ・ビジャエイ・ソワカ
地蔵菩薩 オン・カカカビ・サンマエイ・ソワカ
虚空蔵菩薩 ノウボウ・アキャシャ・キャラバヤ・オン・アリキャ・マリボリ・ソワカ
日光   菩薩 オン・ロホウニュタ・ソワカ
月光   菩薩 オン・センダラ・ハラバヤ・ソワカ

観音菩薩
聖  観  音 オン・アロリキヤ・ソワカ
十一面観音 オン・ロケイ・ジンバ・ラ・キリク・ソワカ オン・マカ・キャロニキャ・ソワカ
千手観音 オン・バザラ・タラマ・キリク・ソワカ
准胝観音 オン・シャレイ・シャレイ・ソンデイ・ソワカ
如意輪観音 オン・ハンドマ・シンダ・マニ・ジンバ・ラ・ソワカ
馬頭観音 オン・アミリト・ドバンバ・ウン・パツタ・ソワカ
白衣観音 オン・シベイテイ・シベイテイ・ハンダラ・バシニ・ソワカ
不空羂索観音 オン・アボキャ・ビジャシャ・ウン・ハッタ
オン・ハンドマダラ・アボキャジャヤニ・ソロソロ・ソワカ
揚柳観音 オン・バザラダラマ・ベイサジャ・ラジャヤ・ソワカ

明   王
不動明王
大 咒 ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバボッケイビャク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン
中 咒 ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン
小 咒 ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン
閻魔大王 オン・エンマヤ・ソワカ
孔雀明王 オン・マヤラギラン・デイ・ソワカ
降三世明王 オン・ソンバ・ニソンバ・ウン・バザラ・ウン・パッタ
大威徳明王 オン・シュチリ・キャラロハ・ウン・ケン・ソワカ
金剛夜叉明王 オン・バザラ・ヤキシャ・ウン
愛染明王 オン・マカラギャ・バゾロ・シュニシャ・バザラサトバ・ジャクウン・バンコク

歓喜天 オン・キリ・ギャク・ウン・ソワカ
帝釈天 ナウマク・サマンダ・ボダナン・インダラヤ・ソワカ
梵天 ナウマク・サマンダ・ボダナン・ボラカンマネイ・ソワカ
持国天 オン・ヂリタラ・シュタラ・ララハラバ・タナウ・ソワカ
増長天 オン・ビロダキャヤ・キシャヂ・ハタエイ・ソワカ
広目天 オン・ビロハキシャ・ナウギャヂ・ハタエイ・ソワカ
多聞天 オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ
毘沙門天 オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ
吉祥天 オン・マカシリ・エイ・ソワカ
弁財天 オン・ソラソバテイ・エイ・ソワカ
茶枳尼天 オン・キリ・カク・ソワカ

言葉の意味
『オン』 真言のはじめにつける慣用句。「帰命する」の意味。密教では一切法門の根元、大日如来の真身をいう。
『ソワカ』 聖句の末尾に置いて「成就あれ」の意味。
『バッタ』 主として調伏法の末尾に置く。破壊の意味を表す音。
『ハッタ』 主として調伏法の末尾に置く。破壊の意味を表す音。
『ノウマク』 真言のはじめにつける慣用句。「帰命する」という意味。「いろいろな仏に帰命します。特に・・・」。
『ノウボウ』 真言のはじめにつける慣用句。「帰命する」という意味。「いろいろな仏に帰命します。特に・・・」。
『ノーモ』 真言のはじめにつける慣用句。「帰命する」という意味。「いろいろな仏に帰命します。特に・・・」。
『ノウマク』 あまねく諸佛に帰命し奉る。
『サンマンダ』 あまねく諸佛に帰命し奉る。
『ボダナン』 あまねく諸佛に帰命し奉る。

金剛界五佛は『オン』 胎蔵界五佛は『ノウマク』です。
台密は天台宗に伝わる密教。また京都東寺を根本道場とした真言密教を東密とよばれます。

不動明王不動明王(ふどうみょうおう)は仏教の信仰対象であり密教特有の尊格である明王の一尊。また五大明王の中心となる明王でもある。
教の根本尊である大日如来の化身・内証(内心の決意)を表現したもの。お不動さんの名で親しまれ大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)無動明王・無動尊・不動尊などともよばれます。アジアの仏教圏の中でも特に日本においては根強い信仰を得て造像例も多い。日蓮宗系各派の本尊(十界曼荼羅)にも不動明王が書かれていますが愛染明王と同様、空海によって伝えられた密教の尊格であることから日蓮以来代々種子で書かれています。日蓮の曼荼羅における不動明王は生死即涅槃を表し、これに対し愛染明王は煩悩即菩提を表しているとされます。不動明王は大日如来の教令輪身とされる。煩悩をかかえ最も救い難い衆生をも力ずくで救うために忿怒の姿をしているそうです。また釈迦が成道の修業の末・・悟りを開くために「我、悟りを開くまではこの場を立たず」と決心して菩提樹の下に座した時・・世界中の魔王が釈迦を挫折させようと押し寄せたところ釈迦は穏やかな表情のまま降魔の印を静かに結び魔王群を超力で降伏したと伝えられていますが不動明王はその際の釈迦の内証を表現した姿であるとも伝えられています。
穏やかで慈しみ溢れる釈迦も心の中は護法の決意を秘めた鬼の覚悟であったといわれます。他にも憤怒の相は我が子を見つめる父親としての慈しみ。外面は厳しくても内心で慈しむ父愛の姿を表現したものであると言われています。
不動明王の像容は肥満した童子形につくられることが多く怒りによって逆巻く髪は活動に支障のないよう弁髪でまとめ上げ法具は極力付けず軽装で法衣は片袖を破って結び・・その装束は古代インドの奴隷ないし従者の姿を基にしたものとされています。修行者に付き従いこれを守る存在であることを表している。右手に降魔の三鈷剣(さんこけん)左手に羂索(けんじゃく)を握りしめて背に迦楼羅焔(かるらえん)を背負い憤怒の相で粗岩(ばんじゃく)の上に座して「一切の人々を救うまではここを動かじ」と決意する姿です。
万物を刺し貫く三鈷剣
万物を刺し貫く・・三鈷剣
一振りすれば炎が涌き悪しき災難を切り裂く。また『貧りの心・怒りの心・正しい判断ができず文句の言う心』の三毒の煩悩を断ち切り魔を調伏して全てを浄化する剣。

笠山三宝荒神閼伽井不動(あかいふどう)と高野山
閼伽井不動は空海が高野山を開山する際に、まだ鷲峯山笠山は人々が入山禁止の頃、この笠山に入り行場として閼伽井池で身を清め21日間の水行を行いました。下山後は高野山開基したものの火災・疫病に見舞われ再度、笠山に登り閼伽井で水行を行いました。空海はこの地に不動明王を祀ると荒神の分霊を授かることがでました。その後下山し高野山に戻り金剛峯寺(青巌寺)を建立しました。また、閼伽井とは身を清める清らかな霊水であり仏に捧げる功徳のある水と言われています。
弘法大師空海空海は平安時代初期の僧侶。弘法大師(こうぼうだいし)の名【諡号を醍醐天皇より九二一年に贈られる】で知られる。真言宗の開祖であり俗名は佐伯眞魚(さえきのまお・さえきのまなとも)。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に旧来の奈良仏教から新しい平安仏教へと日本仏教が転換していく流れの劈頭に位置して中国から真言密教をもたらしました。能書家としても活躍して嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられる。また空海は灌漑事業などを行った社会事業家でもあり綜藝種智院を開設した教育者としての側面もある。後世において『お大師さん』」として半ば伝説化・神格化されて信仰の対象となっています。日本の仏教・芸術・その他文化全般に与えた影響は大きい。空海は宝亀五年(774年)讃岐国屏風浦(香川県善通寺市)に誕生し俗姓を佐伯氏とよばれた。十代末から30才頃までは修行期であり奈良の寺院で仏典の研究に励む傍ら山野に分け入って修行しました。延暦二三年(804年)留学生(るがくしょう)として唐に渡航。長安・青龍寺の恵果和尚(けいかかしょう)に密教の奥義を学び大同元年(806年)帰国しました。空海が時の嵯峨天皇から高野山の地を賜ったのは弘仁七年(816年)のことである。空海は高い峰に囲まれた平坦地である高野山を八葉蓮華(曼荼羅)と見なし山上に曼荼羅世界を創り上げたものです。開創伝承については空海が若い時に修行した高野山に真言密教の道場を設立することを天皇に願い出たといわれています。また平安中期の成立とされる『金剛峯寺建立修行縁起』にはこれとは別に開創伝承が残されています。ある時、空海が修行に適した土地を探して歩いていたところ大和国宇智郡(奈良県五條市)で黒・白二匹の犬を連れた狩人(狩場明神)に出会った。狩人は空海に、この犬について行くようにと犬を放った。言われるままに犬についていくと紀伊国天野(和歌山県かつらぎ町)というところで土地の神である丹生明神(にうみょうじん)が現われました。空海は丹生明神から高野山を譲り受け伽藍を建立することになったといわれています。この説話に出てくる丹生明神は山の神であり、狩場明神は山の神をまつる祭祀者であると解釈されています。この事から神聖な山に異国の宗教である仏教の伽藍を建てるにあたり地元の山の神の許可を得たということを示しているそうである。高野山では狩場明神(高野明神)・丹生明神を開創に関わる神として尊崇している。丹生明神と狩場明神は丹生都比売神社に祀られており金剛峯寺と丹生都比売神社は古くから密接な関係にあって神仏分離後の今日でも金剛峯寺の僧の丹生都比売神社への参拝が行われています。
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
まかはんにゃはらみたしんぎょう

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 
かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう

度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 
どいっさいくやく  しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう

空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 
くうそくぜしき じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ  しゃりし ぜしょほうくうそう

不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 
ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん  ぜこくうちゅう

無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
むしき むじゅそうぎょうしき むげんにびぜっしんい むしきしょうこうみそくほう 

無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽
むげんかい ないしむいしきかい  むむみょう やくむむみょうじん 

乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得
ないしむろうし やくむろうしじん むくしゅうめつどう むちやくむとく 

以無所得故 菩提薩 依般若波羅蜜多故
いむしょとくこ  ぼだいさった えはんにゃはらみったこ 

心無礙 無礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想
しんむけいげ むけいげこ むうくふ おんりいっさいてんどうむそう 

究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故
くきょうねはん  さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ 

得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
とくあのくたらさんみゃくさんぼだい  こちはんにゃはらみった 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ 

能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪
のうじょいっさいく しんじつふこ  こせつはんにゃはらみったしゅ 

即説呪日 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
そくせつしゅわつ ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい 

菩提薩婆訶 般若心経 
ぼじそわか はんにゃしんぎょう

高野山大門(高野山西の入り口)
高野山(金剛峯寺)
 金剛峯寺(こんごうぶじ)は高野山にある高野山真言宗総本山の寺院です。高野山は和歌山県北部に位置し周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地である。100ヶ寺以上の寺院が密集した日本では他に例を見ない宗教都市でもあり京都の東寺とともに真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が宗教活動の拠点とした寺です。真言密教の聖地・弘法大師信仰の山として二一世紀の今日も多くの参詣者が訪れます。2004年には高野山・表参道である高野山町石道(こうやさんちょういしみち)などが世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録されました。『金剛峯寺』という寺号は明治期以降は1つの寺院の名称になっています。
壇上伽藍内の金堂
壇上伽藍の中心的な役割の根本大塔
 壇上伽藍は空海(弘法大師)が受け継がれ展開された真言密教の思想を具現化した聖地です。大日如来の仏都(京都・鎌倉・平泉・会津・奈良)である高野山は根本大塔を密教宇宙の中心軸として大伽藍が配置されています。長い歴史の流れと共にとともに移り変わっていますが諸堂の配置も高野山独自のものとなっている。この場所では重要な法会の全てが行われています。